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| 「自分とは何か」、人はこの課題を心に抱えながら一生をかけて自らの存在を探り当てていくのかもしれない。日本にいれば、それなりの仕事や生活が保証されていたにもかかわらず、自分の音楽とは何かという命題を持って、1986年に30歳で海を渡ったのが鳥養 潮さんだ。 |
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昨年10月、坂本龍一、湯浅譲二と並んで、彼女作曲の「Rest(いこい)―C.G.ロセッティの詩による」が文化庁芸術創造特別支援事業の一環として初演され、WTCテロ犠牲者に捧げる鎮魂歌になった。多作ではないが、「GO WHERE?」「阿吽の音」などのアルバムは、時空を超えた民族的な音を打ち出した作品として音楽、映像専門家の間で評価が高い。 |
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| 「音楽とは本来人間の営みから生まれてくるものだというのが私の信念で、たとえば、豊作の時、それを祝う気持ちは、人々の営みから体を使って音楽が出てくる。身体性と精神性との結びつきが音楽になっていく」。潮さんと音楽の結びつきは、子供のころに遡る。ピアノ、バイオリン、三味線に琴、小さいときから音楽好きで、楽器に親しんだ。 |
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| 普通の音楽家と異なるのは、潮さんには素朴な疑問が湧き上がってきたことだ。日本音楽の歴史をたどっていくと、1500年前の正倉院の楽器まで到達した。正倉院に収められたハープの元ともいうべき23弦のクゴ復元に協力し、クゴの曲を作り、1983年国立劇場で演奏も行なった。独自のリサーチと古典楽器の習得に10年以上かけてきた。独学だから人の3,4倍は時間がかかる。だれも歩いていない道を気が付いたら一人進んできた。 |
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| ニューヨークに来たのも、自分の音楽がどこまで世界に通用するか、試す意味もあった。代償は大きいが、あえてそれをしたのは、物事を突き詰めないと納得できない生来の気質だったかもしれない。アジア文化協議会の招聘で渡米したとはいえ、日本から決めてきたのは、たった1つのコンサート。イチかバチかの賭けだった。 |
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潮さんのコンサートを聞いたという、知らない人から手紙をもらった。「君の音楽が好き、一緒にやってくれないか」。これが彼女の励みになった。「なんてありがたいんだろう、損得関係もない人が、ただ単純に曲が好きだと頼んでくるんだから」。異国でのすべての体験が血となり肉となった。「好きな音楽をやっているから、努力するのは当然、その上でのラッキー。体当たりでやっていると、何かの答が返ってくる」。
僧侶の声明が作り出す無限の空間、身体性と時間の集積というテーマを複数の僧による声の構成で浮き彫りにした「阿吽の音」は、伝統音楽のルーツと人間の肉声から生まれる音楽の融合を私に教示してくれた。「急ぐ必要はない。一生を通して自分を発見できたらすばらしい」という潮さんは、自分や自分の音楽が何であるのか、その答をまだ探し求めている。 |
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