|
 |
 |
| |
 |
 |
| 地球の丸さを確信して、彫り続けたら、必ず1つの線で結ばれると、ノミを打ち下ろしたのが、平塚ケンさんだった。あの少年のままの純粋さを持ち続けて、ケンさんは彫刻を制作している。 |
 |
 |
「石が好きなんですよ」開口一番、ケンさんは言った。
茨城県下館の河原が遊び場だったというケンさんは、子供のころから石を探したり、石を眺めていたり、石があれば満足な子供だった。石屋の息子は、家業を継がず、武蔵野美術大学彫刻科に入学、以後石の彫刻一筋。卒業後、美術界の賞に入選したから、そのまま日本に居れば、彫刻家としての道は確約されていたかもしれない。
「当時、日本の美術界は、まだ徒弟制度というか、自分のアートができない気風を感じて」。それで日本を飛び出した。「行くのならニューヨークしかない」とケンさんは決断した。
ブルックリンに住む知人の彫刻家を頼って1982年に渡米、ビルのスーパー(管理人)に到着後すぐ雇われて、住居と仕事を一挙に得た、22歳の出発だった。 |
 |
「地球を1つの石と考えて、レコード盤のように彫り続けていったら、最後はつながるんじゃないかって」。ケンさんはまじめだ。地球を彫るということは、いわば路上彫刻。マンハッタンのダウンタウン、路上を彫っていたら突然、警官がほうきで殴りかかってきた。近くのバーには許可を取っていたが、何の効力もない。舗道はニューヨーク市の管轄で、勝手に彫刻することは許されない。2晩留置所で過ごした。裁判で、仕事はと聞かれ、「コンセプチュアルアート、その実践をパブリックで表現した」とケンさん。路上彫刻論を披露した。粋な裁判官の計らいで、6カ月の執行猶予。半年後罪は消え、結局おとがめはなかった。
以来、路上彫刻は止めたけれど、地球を彫り続けたいという思いは変わっていない。ローマ、ニース、オーストラリア、中国の桂林、宗谷岬でもノミを振るった。 |
 |
ケンさんの持論は、美術館の作品だけがアートではない。人は生活環境や自然の中から、記憶に残る美しい何かを秘蔵している。その印象に刻まれるものを意識的に作り出すのがケンさんのアート。「彫刻は僕の瞬間の化石」とケンさんは言う。恐竜の化石も一時代の生活が石に刻まれたわけで、彫刻も何千年という歳月を経れば、化石と考える。「宇宙人が誰が彫ったんだろうなんて言っている場面を想定したら愉快じゃないですか」。こういうとケンさんは豪快に笑った。
いまもニューヨーク市内の舗道にはケンさんの彫った化石が十数か所残っている。足元にジグザグ連続模様の彫刻があったら、それはまぎれもなくケンさんの仕事に違いない。 |
|
 |
|
|