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| 日本人はブロードウェイの舞台には立てない、そう言われ続けてきたが、その常識を破ったのが玉置康子さ ん、シアター・ユニオンに所属するミュージカル女優だ。トニー賞を獲得した「フォーティセカンド・ストリート」に2001年5月のオープン以来、キャストの一人として出演している。 「今が一番幸せです。歳をとってから、『若いときはブロードウェイの舞台でキャストの一人として踊って 歌って、芝居をして、すごかったのよ』と言える。本当に充実しています」。 |
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玉置さんの場合、東洋人としてよりもむしろアメリカ人と互角にオーディションをくぐり抜けて、このポジションを獲得してきた。身長171センチ、日本人としては恵まれた体格、11歳から踊りで鍛えた体はアメリカ人と比較してもひけを取らない。
2000年10月に行われたオーディションには、女性だけで1千人近い人が受け、26人が採用された。男女合わせて36名。狭き門だ。キャストのほかにオーケストラ、大道具や照明、かつら、衣装、メーキャプなど、総勢140人のスタッフが一つの舞台を作り上げていく。「リハーサルを経て、舞台が出来上がっていく過程というのは、鳥肌が立ってきて、本当に感動しますね。皆で作り上げていくことが好きですね」。 |
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玉置さんがアメリカに来たのは15歳の春、中学卒業と同時だった。宝塚少女歌劇団のファンだった玉置さんは、15歳で受験、チャレンジは失敗だったが、それが功を奏した。大泣きしている玉置さんに母親がアメリカ観光を勧めた。シアトルでホストファミリーになってくれた人の姉がダンススタジオでジャズダンスを教えていた。3か月後、地元のダンスコンテストで玉置さんは優勝してしまった。これがきっかけで高校留学を決意、大学1年のとき、ニューヨークのアルビン・エイリー・アメリカン・ダンススクールのオーディションに合格し、ニューヨークに移ってきた。
「もっと成長したいという気持ちでした。ニューヨークから刺激を与えられます。踊りそのものが心に響くような、日本では踊りのテクニックは高いが、表現力が違う。ダンサーがセクシーで自信に満ちていますから」。ダンススクールの2年間で60人いたクラスメートが5人しか残らなかった。卒業後、ウィルロジャーズ・フォリーズに採用になり、全米のツアーに参加。ナショナル・カンパニー・ワークビザを得てフォーティセカンド・ストリートの
オーディションに出会った。 |
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「日本にいたら趣味で踊る程度で、やめていたかもしれませんね。アメリカはショーも多いし、いろいろチャンスもあります」。
15歳で留学した当初はノイローゼになるほど英語で苦しんだが、高校を卒業する頃は英語のハンディはなくなっていた。ブロードウェイの舞台に立つには英語のハンディがないことが最低条件。
「本当にやりたかったら出来ないことはない。ここまで夢がかなったんだから、きっと出来るという自信はできた。それにハッピーでなかったら違うことを探して追いかけてもいい。たとえば結婚とか…。」そう言った笑顔がさわやかだった。 |
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